それは、10年前の冬のことでした。
僕が旅先の田舎町で、偶然見つけた廃駅の駅舎に立ち寄ったときの話です。
その駅は何年も前に廃止され、ホームには枯れた草が風に揺れ、ひんやりとした空気があった。
寂れた空間に哀愁を感じ、なんとも言えない感傷に浸っていると、ふと一人の年配の男性がベンチに座っているのに気が付きました。
古びたかバンを脇に置き、手には小さな花束を握りしめていました。
その姿はどこか切なげで、僕は声をかけるべきか迷いつつ、少し離れたところに気にしました。
前を見つめて、ただじっと、静かに時間を過ごしているように見えました。
しばらくして、男性がゆっくりと話しかけてきました。
話を聞くと、その娘さんは若い頃に遠くの町に嫁ぎ、彼女と会う機会はもう無くなってしまったそうです。
というのもコロナで亡くなってしまい別れを告げることができなかったのだと。
「だから、ここに来れば、また娘に会える気がしてね」
と、彼は静かに笑いました。
その笑顔が痛くて、私は何も言えませんでした。
そして、持っていた花束をベンチにそっと歩いて、駅舎の方に向かって小さく一礼をして去っていきました。
背中が見えなくなった後も、僕はしばらくその場を離れることができませんでした。
彼と彼の娘さんの最後の別れが静かに語りかけてきました。
今でも、その駅を思い出して、冷たい風と共に彼の優しい背中が心に届きます。
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